2016-06-30
卒業式、この世
盛岡でお別れをしてきた。
棺の上に、2枚のポスター。
住職の「今日はこの世からの卒業式です」という言い方が俗っぽくて、心の中で笑った。
自分の名前が表に出るのを嫌う方で、インタビューなども極力受けなかったらしい。身長が高く、佇まいは五木寛之氏のようで、お会いするたびにその穏やかだが普通でないオーラに緊張が走った。写真を撮られるのもあまり好きではなかったようだ。
この世に爪痕残そうとかいう気持ちは微塵もなく、ひたすら24時間美術を愛した方だった。最後にお会いした去年の秋、すでに状態は芳しくなかったのだが、意識が戻ってきたり遠くへいったりしながら「娘が自分のいちばんの最高傑作」とおっしゃっていた。
生きていて元気なうちは「愛するものや人に囲まれて自分の居心地の良い場所で華々しく有終の美を飾る」死に方をなんとなく望んでしまいがちだが、実際そんな死に際を経験する人はごく稀で、通常は草花や虫のようにひっそりと枯れていくものなのだろう。枯れ始めてから枯れ終わるまでの時間の経過がちょっとしんどい。
結局、私は何も良いところを見せてあげられなくて、そのことを考えただけで涙が出る。「四角との対話」を病室に持って行った時もあまり喜んでもらえなかった。「違うだろ」と目で訴えられていた気がする。
お疲れ様でした。今頃、この世の卒業生の皆さんで談笑しているだろうか。
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