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2016-06-17

飲み口の良いコーヒーカップとさらりと軽いコーヒー。

先日ヤフオクに出したリズムマシンは、想定外の、フランス在住の方が落札した。海外発送不可にしておいたはずなのに。
落札者が落札後「実は私、フランスに住んでるんですが……」とカミングアウト。
リズムマシン、今頃税関あたりにお泊りしているだろうか。

その方、今度フランスの街の路上で路上ライブをするのだそうだ。しかし、フランスは路上ライブが禁止らしく、唯一路上パフォーマンスが許されるカーニバルか何かの日に遂行予定らしい。ゲンズブールが好きなんです、とメッセージを送ったが返事は来なかった。

同じく出品していたMTRはミュージシャンを目指す方の手に渡った。オーディションに応募するデモ曲を制作するために落札したのだそうだ。オーディション締切が月末なので、少しでも早く発送してほしいとのことだった。
それは急がなくてはと、希望にこたえられるようがんばった。

モバイルライフというのにますます憧れが強まり、手放せるものはできるだけ手放してなるべく身軽でいたいと思っているが、意外と手放せないのは本だ。もう読まないのに手放したら寂しくなる本がかなりある。数年かけてかなりの本を処分し、どうしても残さずにはいられない本はとりあえず段ボール箱○○個分にまとめた。結果、押入れの大部分を本の入った段ボールが占めてしまい、困っている。おまけに、読みたい時にすぐに取り出せない。

最近、祖母の再期の過程を見届けた時、最終的に手元に置けるのは入院先の病室のベッドまわりに置ける程度のもの……スーツケース1つ分か、多くても衣装ケース2つ分ぐらいの荷物なんだろうなと思った。最後の時間を過ごすベッドまわりに自分は何を置いておくだろう。着替えやアメニティーグッズ以外だと、ノートPCとに本2冊、ノートとペンだろうか。けれど、おそらく死の恐怖で何も手につかなくなるのではと思う。

お世話になっている先輩詩人は、死ぬ前に自分のすべての作品を焼き捨てるつもりだそうだ。この世にいた痕跡をなるべく残したくないとのこと。動物は、そうらしい。ペットの飼い主がよく死んだペットの毛や爪を取っておいたりするが、あれは動物にとってはハタ迷惑な行為だ、とある霊能者が言っていた。

私のここ数年のテーマはまさにそれで、この世に爪痕を残さなくてもザワザワしない精神性を身に着けてみたいと思った。例えば音楽という、形のないものを作っている頼りなさと不安感、手ごたえの感じにくさは自分にとって計り知れない。

私はたぶん生まれつきエゴがとても強い。「私が私が」感はだいぶ捨てることができたはずだったけれど、実はただ「抑え込んで」いただけだったのかも知れない。どうすればエゴをなくせるのだろうか、社会的な地位や居場所、何かに対するゆるぎない自信、心の余裕などを所有すればエゴも消えるのだろうか。しかしそれはあくまで条件付きで消えているだけだから、またどこかでエゴは顔を出すだろう。それでも別にいい、お金持ちになったら私ももっとゆったりおっとりニコニコする。薬で散らす的な処置で自分の本性を表に出さずに治めていればいいだけの話かもしれない。

何もしない時間が続くだけで居心地が悪くなりザワザワする。リラックスするということができない。

何も生産しない私の存在の無意味さの中の意味。高級な食べ物は大抵、物足りなさを感じるほど口当たりが軽かったりする。文章や絵画にしても、私はそういう口当たりの作品がやっぱり好きだ。

何も持たず、何かの爪痕にすがらなくてもただ存在している自分、というのは究極の自分形。

そういうものを目指していくのはしんどいけど好奇心はくすぐられる。精神を病むギリギリのラインでたいへん危険だ。

でもそんなもの目指すほど自分は強くない。落ちるのをわかっていながら貪欲に自分のエゴに従って進み続ける人も尊い。私はそのどちらでもないからしょうもないなと思う。

 

 

BSで観た「恋する惑星」が良過ぎた。

 

 

諸々申し訳ないけどYouTubeはつくづく素晴らしいなと思う。

 


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