ミディアムトレンチは永遠に……R.I.P.戻り鰹。
私のバンド「ミディアムトレンチ」のギター&リーダー「戻り鰹」こと、マージー阿部氏が急逝された。
阿部さんの死が想像できなすぎて心の整理がつかない。
泣いて、1周まわって今はわけわからなくなって笑ってしまっている。
本当にたくさんの愛をもらった。感謝してもしきれない。
こんなに音楽とオシャレと人を愛するおじさんに出会ったことは今までなかった。
友だちがすごく多い人で、阿部さんのまわりはいつも賑やかだった。
いわきにこんな人がいるなんて……と、少々退屈で殺風景だったいわきでの暮らしが阿部さんと出会ったおかげで一時期華やいだ。
ご飯に行くのが好きな人で、たくさんごちそうしてもらい、古着もたくさんいただいた。
お金持ちというわけじゃないのに(失礼)、お金の使い方がスマートで、とても粋な人だった。お金持ちそうに見えるのがこれまた、粋な証拠。
震災の時、阿部さんと私は外まわり勤務中で、2人で車に乗っていた。(なんという巡り合わせか、阿部さんと私は同じ職場で働いていたのだった。)
阿部さんが機転を効かせて陸の方へ車を走らせたから命びろいした。そう、阿部さんは私の命の恩人でもあるのだ。
ミディアムトレンチで活動していた1年間という短い期間に、阿部さんに音楽やファッションの基礎知識、そして阿部さんらしいユーモアに富んだ人生観を詰め込んでもらった。
お会いするたびに山ほどのCD、本、古い雑誌を渡された。
「流す程度に聴けば(読めば)いい」と言われたのでそうした。
阿部さんは古着とファストファッションと昔のDCブランドものをミックスしてお金をかけずにオシャレに着こなす独特のスタイルを持っていた。「自分の原点はアイビー」とよく話していた。「これ、ためになるから」と、デザイナーのインタビュー記事をコピーして持ってきてくれたりした。そして必ず、CDも本も古着も、潰れてしまった自分の古着屋の「the MERSEY」と書かれた青いビニールバッグに入れて渡してくれた。
情報通で、古い音楽はもちろんのこと私も知らないような若者の音楽やカルチャーにも詳しく、俗っぽい一面も魅力で、阿部さんと話すのが本当に楽しかった。
そういえばバンド時代に作った(今も歌っている)曲は阿部さんのために作った曲がほとんどだ。
今まで、阿部さんほど音楽が好きな人に出会ったことがなかった。結局私は、音楽愛というよりも、阿部さんとバンドやるのが楽しくて、阿部さんに褒めてもらったり、喜んでもらいたくて音楽活動していたのだと思う。
私の音楽愛は正直いって本当に大したことなくて、はっきり言って薄っぺらいのだ。それも阿部さんは充分にわかっていて、「あんたはそのままでいいから」と言ってくれた。
だから、阿部さんと離れた後は、1人でどうしていいかわからなかった。歌う意味さえ感じられなかった。ただ、阿部さんへのちょっとした悔しい思いや意地で無理やり続けていたようなものだ。
突然、阿部さんがこの世からいなくなり、今、私は音楽を続ける理由が半分なくなってしまった。
なんだか、心からさびしい。あらためて自分は空洞なんだなとわかる。
そうそう、阿部さんに「俺のルポタージュをまとめて本にしてほしい」と常々言われていたのも心残りだ。「どんな風に書いてくれてもいいから」と、資料も渡されていた。
↓自分用にひたすら貼っておく。
この曲は阿部さんの口癖をもとに作った。
本人が歌うことを想定して作ったのだが、結局歌ってもらえずだった。
私の初ライブ&ミディアムトレンチデビューライブ。
阿部氏が「自分のバンドに戻る」と言い出したりしてバンドの雰囲気が悪くなってた頃。
曲はかなり好きだ。
下手。というかこれからまとめるところだった。
まだ音がまとまっていない感じ。
ほんの数年前なのに自分が若い。
記録してあった動画を見ると、途中でやめちゃってこの蓄積を無駄にしたらもったいないなと思う。
阿部さんの機嫌がなぜかとても悪かった時。しかし、今聴くと悪くないではないか。阿部氏作詞作曲の「ロマンス」、良い曲だ。
↓阿部さんについて書いた過去記事を貼っておく。
最後にバンドメンバーで集合した時の写真。左はドラムの竜宮城=浦島氏。
この日、話し合いを行い、「ミディアムトレンチは活動休止しましょう」ってことになった。
でも解散はしてませんよね。
今年、3人で飲もう、活動再開しようみたいな話もしてたのに。
阿部さん、本当にありがとうございました。
週末、お別れをしに伺います。
(2017/7/19加筆修正)
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