toggle
2016-08-20

ミディアムトレンチつれづれ。

細眉ブームが復活したらしいから、心置きなく細眉にした。

 

今はいつも1人でスタジオ練習しているけれど、数年前までは「ミディアムトレンチ」というバンドのメンバー3人でスタジオ入りしていた。

今思えば3人で音楽を作り上げていく幸せな時間がそこに流れていた。

ただし、4時間ほどスタジオを押さえても、うち2時間はギター担当のバンドリーダーM氏のファッションチェックとそれに付随するファッション、サブカル話、そして音楽講義の時間だった。お菓子をつまみながら。それがまた楽しかった。以前お洋服屋さんをやっていたM氏は服が本当に好きで、古いブランド服とプチプラ服を組み合わせて着こなすのが上手なおじさんだった。いわきにこんな人がいるなんて、と思った。M氏の影響で上京後スタイリストになった人もいるらしい。CDや本を毎週たくさん貸してもらい(聴き込まず、読み込まずでサラッとうわばみすくう程度にかじればいいと言われていたのでそうしていた)、時々古着や靴をいただいた。M氏は粋な人だった。ルーツロック系の音楽やカルチャーに詳しいと同時に、今の若者に人気の音楽や流行にもたいへん敏感で、教わることが本当に多かった。それまで私はスカみたいな音楽とほとんど縁がなかったのだが、モッズカルチャーとの絡みなども含めM氏にざっくりと伝授してもらった。男性は、基本的に女性に教えたい人が多いのだと思う。自分はその頃吸収力抜群のように感じていた。でもたぶん教わったことの半分以上は頭から抜け落ちた。

 

それらが正しくても間違っていたとしても、いまだにM氏のアドバイスや教えてもらったことを教科書にしているフシがある。今後も教えを忠実に守っていきたい。

一例①→服装がダサい奴とは音楽やらないほうが良い(服装がダサい男とも付き合うな)、楽屋入りする時の服装から意識しないとダメ、ステージ衣装を着て楽屋入りとかはNG、楽屋に入ってからステージ衣装に着替えるべき。←私もそう思っているが、「楽屋に入ってからステージ衣装に着替えるべき」は最近なかなか実行できていない。あと、誤解のないように言うと、粋が大事ということだ。家を出てから帰ってくるまでが遠足です、みたいな。トータルで音楽を表現しろということだろう。

一例②→循環コード、3コードを基本に、とにかくコードは極力シンプルに曲を作るべし。曲構成もなるべく削るとこ削る。カバーをやるなら極端な話、カバーしたい楽曲の雰囲気をパクってオリジナルを作れ。あとあと残るのはシンプルなコード進行の曲。←単にM氏が難しい曲を覚えられなかったから覚えられるような曲をリクエストされていた気もするが、共感できる。

ドラムのR氏は学校の先生で、部活の顧問が終わってからスタジオに向かうため、いつも遅れてスタジオ入りしていた。神保彰に憧れて10代の頃ドラム教室に通い始めたR氏は、品の良い正確なドラムを叩く方だった。お母様が音大卒ということもあってピアノや音楽理論の素養もあり、育ちの良さが性格にも表れていて、たいへん謙虚でスマートだった。彼のおかげで3人のバランスが保たれていた。

ミディアムトレンチ結成前、3人は「ポーラ・ネルソンズ」というバンドで一緒だった。あっという間にスピード解散したこのバンドも諸エピソードあり。解散の原因は私がバンドリーダーのプライドを傷つけてしまったためだ。以後気をつけようと思った。このあたりの出来事を含めた、地方のしがないミドルエイジなアマチュアバンドエピソードは、まとめると本1冊分くらいにはなる。ノンフィクションにすると差し支えそうだが。

 

M氏のアドバイスと、そこに俊美さんのライブ会場でのお客さんに対する神対応な立ち振る舞いを合わせて音楽活動時の参考にしている。

というか、M氏のノリが目に見えて悪くなってきて、このままだと解散かな、という危うい状態の時、M氏がふと「あんたはもう、ソロでやっていきな。プロになれ。そろそろ俺から卒業したほうがいい」と言った。「いやいや、そんなそんな。バンドがいいんですよ、私は」と答えた。M氏、何言ってんのかな、と当時は思った。
結局バンドは解散はしないものの、活動休止となってしまった。私はいまだにミディアムトレンチを続けたいと思っている。そもそも、私を前面に出すスタイルが間違いだったような気もする。

 

 

内弁慶だ。

 

 

シティポップ感を出したかった。この曲、最近また練習している。

 

 

1人でスタジオ入りするとさびしいので、ついtwitterでさびしいとつぶやいてしまうけど、自分で望んでそうしているので大丈夫なのです。がんばっています。

(後日加筆修正予定)


関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です