I Remember You、つれづれ。

戻り鰹こと阿部さんが星になってからまだ10日とちょっとしか経っていない。お葬式が終わったのはほんの数日前だ。
いちばん「死」から遠いところにいるような人物が急に亡くなって、うろたえているのは私だけではないはずだ。

阿部さんのお通夜・告別式はいわきで最も格式高い、大きめの葬祭場で執り行われた。
会場は「地元の名士」かと思うほど人でいっぱいだった。

 

 

阿部さんは私の所属バンド「ミディアムトレンチ」の他にもいくつかバンドを持っていて、それぞれのバンドメンバーも私と同じように……いや、それ以上に阿部さんの死に驚き、悲しんでいた。

 

 

私が阿部さんと出会ったのは10年前で(阿部さんのバンド「常磐カンテラーズ」にライブイベント出演をお願いした)、それから音楽活動でご一緒するようになったのはごく数年前からだし、私はまだまだ付き合いが浅いほうかもしれないが、毎週のようにバンドメンバーでスタジオに入り、練習を重ね、時には揉めたりもして、阿部さんが近年バンドマンとしてもっとも音楽と、自分と向き合い悩みながら密度の濃い時間を過ごしたのはミディアムトレンチだったのではないだろうか。

 

阿部さんとのエピソードは思い出したらキリがない。
とにかく音楽が好きで、人が好きで(人を見る目もなかなか鋭かった)、自分のことも、自分の奏でる音も良い意味で大好きな人だった。
スタジオ練習でのセッションをiPhoneで録音しておき、その日のうちに練習音源をCDに焼いて翌日阿部さんに渡す、というのを毎週やっていた。CDをお渡しすると阿部さんはうれしそうにCDをカーステレオにセットして翌週のスタジオ練習日まで毎日聴いていたのだった。

 

阿部さんは、ライブ当日、ピリピリした空気の楽屋に、フランスパンの間にハムやレタスを挟んだ手作りのバゲットやワイン、チーズなどを持って現われ、まるでどこかの山にピクニックに来たかのように楽屋のテーブルいっぱいに食べ物を広げて「ほら、まず食べな~♪」とパーティーを始めてしまう人だった。
他の阿部さんのバンドのメンバーに聞くとやはり同じく練習スタジオや楽屋に手作りのバゲットやいろんな食べ物を持参し、メンバーにふるまっていたようだ。
当時は阿部さんの「ライブはリハーサルからお祭り的に楽しもう」なノリに正直気持ちがついていけなかった私だったが(ライブに不慣れで相当緊張していたため)、今となったらそんなに力まないで、どうせ下手なんだからもっと気楽に楽しめば良かったと後悔している。

 

ミディアムトレンチの活動をしている間は、(特にこちらが頼んでいた訳ではないのだが)お酒も煙草もやめてくれていた。
「革ジャンを着たいから」と、体重が増えないように気をつけていたようだった。
バンドの曲を覚えたりとか、自主練はほとんどしてこない阿部さんだったが、阿部さんなりに意気込みがあったのだと思う。
だから、私はマスコット的に阿部さんに操られるフリをして、阿部さんの魅力が多くの人に伝わるように陰で阿部さんを上手く操りながら、阿部さんとドラムの浦島さんと3人で、もっと良い景色を見たかったな、と思うのだ。

 

お通夜の会場でドラムの浦島氏と数か月ぶりに会い、スタジオ練習後いつもそうしていたように「Big Boy」で「ミーティング」という名の「精進揚げ」をした。
バンドとしての阿部さんの楽しい思い出は尽きないが、「どうすれば活動休止をくい止められたか?」「なぜレコーディングをして音源を残さなかったのか」と、反省会モードだった。実はアルバム制作のためのレコーディングを始めるか否かの選択がバンドの継続or休止のデッドラインだった。阿部さんは休止を選んだ。
ああすれば良かった、こうすれば良かったと今さら言っても仕方ないのはわかっている。わかっているが、なんだか惜しかったなという気持ちが勝ってしまう。
ステージに立つとそれぞれ気負ってしまい、上手くいったライブは一度もなかったが、音楽スタジオで3人で延々とセッションする時間が楽しくて仕方ないバンドだったというのが浦島さんとの共通の認識だ。当時体調を大幅に崩したり仕事も上手くいっていなかった私にとってはスタジオが唯一のサンクチュアリであり救いの場でもあった。

きっと開催されるだろう「阿部さん追悼(トリビュート)ライブイベント」に向けて、ミディアムトレンチとして数曲準備しておくことにした。ギターの人を探そうかと思ったが、あの、遊び心のある独特のカッティングとグルーブ感は阿部さんにしか出せないだろう。

 

 

面白い音源を見つけた。
「さばば」という曲の作曲を阿部さんにお願いしようとしたのだった。

 

 

結局、さばばは自分で作曲し、こんな曲になった。

 

 

「おとぎ話」、2コードのループがかっこ良いではないか。
私のボーカルが不安定なのがもったいない。

 

 

お借りしたままずっと返せずじまいで実家に保管してあった阿部さんコンシェルジュシリーズ、、、阿部さんらしい最高で最後のチョイス。
当時、私がウツっぽいのを阿部さんが知っていて「ウツの時はユキヒロの文章がすっと入ってくるはず、でもパラパラッと読む程度でいいから」と言って渡してくれた。

 

 

CDや古着、本の受け渡しのたびに使われた阿部さんのお店の袋。

 

 

実家の本棚を探してみたら、阿部さんから預かっていた阿部さんの連載エッセイの切り抜き等を発見。

 

阿部さん、「俺をモデルに本を書いてほしい」とよく言っていたな。
口約束はいやだから、形にしたい。

 

 

いつぞやの宴会の景品。
これも、阿部さんの仕業。

 

 

長らく限定公開にしてあったライブ動画の中から、阿部さんらしいのがあったのであげておく。
浦島さんが加入する直前の、ミディアムトレンチの初舞台。

 

 

 

まるで20代のような青春群像劇をアラフォーになってからようやく経験できて幸せだった(今も続いている)。
阿部さん、今までありがとう。

私はもう少しがんばってからそちらへ行きます。
ベタですが、天国でまたセッションしたいです。

 

 

ミディアムトレンチは永遠に……R.I.P.戻り鰹。


2017-07-28 | Posted in BLOG, MUSIC, YOUTUBENo Comments » 

ミディアムトレンチは永遠に……R.I.P.戻り鰹。

私のバンド「ミディアムトレンチ」のギター&リーダー「戻り鰹」こと、マージー阿部氏が急逝された。

 

阿部さんの死が想像できなすぎて心の整理がつかない。

泣いて、1周まわって今はわけわからなくなって笑ってしまっている。
本当にたくさんの愛をもらった。感謝してもしきれない。
こんなに音楽とオシャレと人を愛するおじさんに出会ったことは今までなかった。
友だちがすごく多い人で、阿部さんのまわりはいつも賑やかだった。
いわきにこんな人がいるなんて……と、少々退屈で殺風景だったいわきでの暮らしが阿部さんと出会ったおかげで一時期華やいだ。
ご飯に行くのが好きな人で、たくさんごちそうしてもらい、古着もたくさんいただいた。
お金持ちというわけじゃないのに(失礼)、お金の使い方がスマートで、とても粋な人だった。お金持ちそうに見えるのがこれまた、粋な証拠。

震災の時、阿部さんと私は外まわり勤務中で、2人で車に乗っていた。(なんという巡り合わせか、阿部さんと私は同じ職場で働いていたのだった。)
阿部さんが機転を効かせて陸の方へ車を走らせたから命びろいした。そう、阿部さんは私の命の恩人でもあるのだ。

ミディアムトレンチで活動していた1年間という短い期間に、阿部さんに音楽やファッションの基礎知識、そして阿部さんらしいユーモアに富んだ人生観を詰め込んでもらった。
お会いするたびに山ほどのCD、本、古い雑誌を渡された。

 

「流す程度に聴けば(読めば)いい」と言われたのでそうした。

 

 

阿部さんは古着とファストファッションと昔のDCブランドものをミックスしてお金をかけずにオシャレに着こなす独特のスタイルを持っていた。「自分の原点はアイビー」とよく話していた。「これ、ためになるから」と、デザイナーのインタビュー記事をコピーして持ってきてくれたりした。そして必ず、CDも本も古着も、潰れてしまった自分の古着屋の「the MERSEY」と書かれた青いビニールバッグに入れて渡してくれた。

 

情報通で、古い音楽はもちろんのこと私も知らないような若者の音楽やカルチャーにも詳しく、俗っぽい一面も魅力で、阿部さんと話すのが本当に楽しかった。

そういえばバンド時代に作った(今も歌っている)曲は阿部さんのために作った曲がほとんどだ。
今まで、阿部さんほど音楽が好きな人に出会ったことがなかった。結局私は、音楽愛というよりも、阿部さんとバンドやるのが楽しくて、阿部さんに褒めてもらったり、喜んでもらいたくて音楽活動していたのだと思う。

 

私の音楽愛は正直いって本当に大したことなくて、はっきり言って薄っぺらいのだ。それも阿部さんは充分にわかっていて、「あんたはそのままでいいから」と言ってくれた。

だから、阿部さんと離れた後は、1人でどうしていいかわからなかった。歌う意味さえ感じられなかった。ただ、阿部さんへのちょっとした悔しい思いや意地で無理やり続けていたようなものだ。

 

突然、阿部さんがこの世からいなくなり、今、私は音楽を続ける理由が半分なくなってしまった。
なんだか、心からさびしい。あらためて自分は空洞なんだなとわかる。

そうそう、阿部さんに「俺のルポタージュをまとめて本にしてほしい」と常々言われていたのも心残りだ。「どんな風に書いてくれてもいいから」と、資料も渡されていた。

 

↓自分用にひたすら貼っておく。

 

この曲は阿部さんの口癖をもとに作った。
本人が歌うことを想定して作ったのだが、結局歌ってもらえずだった。

 

 

私の初ライブ&ミディアムトレンチデビューライブ。

 

 

阿部氏が「自分のバンドに戻る」と言い出したりしてバンドの雰囲気が悪くなってた頃。
曲はかなり好きだ。

 

 

下手。というかこれからまとめるところだった。

 

 

まだ音がまとまっていない感じ。

 

 

ほんの数年前なのに自分が若い。

 

 

記録してあった動画を見ると、途中でやめちゃってこの蓄積を無駄にしたらもったいないなと思う。

 

 

阿部さんの機嫌がなぜかとても悪かった時。しかし、今聴くと悪くないではないか。阿部氏作詞作曲の「ロマンス」、良い曲だ。

 

 

↓阿部さんについて書いた過去記事を貼っておく。

 

ミディアムトレンチ・戻り鰹の着こなしがやっぱりかわいかったNAVERまとめ

 

ミディアムトレンチつれづれ。

 

最後にバンドメンバーで集合した時の写真。左はドラムの竜宮城=浦島氏。
この日、話し合いを行い、「ミディアムトレンチは活動休止しましょう」ってことになった。
でも解散はしてませんよね。
今年、3人で飲もう、活動再開しようみたいな話もしてたのに。

 

阿部さん、本当にありがとうございました。
週末、お別れをしに伺います。

(2017/7/19加筆修正)


2017-07-18 | Posted in BLOG, LIVE, MUSIC, YOUTUBENo Comments » 

ミディアムトレンチ・戻り鰹の着こなしがやっぱりかわいかったNAVERまとめ

「ミディアムトレンチつれづれ。」の記事を書いたら、私事ながらミディアムトレンチを振り返りたくなり、かろうじて残っている公式ブログを覗いてみたら(IDもパスワードも失念)、戻り鰹氏の着こなしのかわいさハンパなかった。という訳で、こちらに写真を転載しておく。お洒落は還暦過ぎてからが勝負って感じで素敵です。

 

戻り鰹=マージー阿部である

戻り鰹ことマージー阿部氏は自分のバンド「マージーズ」「常磐カンテラーズ」でもキレキレな存在感を放っている。
タイトなブリティッシュサウンドが本当にかっこ良い。
自分らしいトラッドな着こなしがいつもお洒落である。
「自分の基本はアイビー」が口癖だった。

 

 

 

ジャパニーズ・モダンフォーク・トリオ「ミディアムトレンチ」

 

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2012年4月結成。2013年7月活動休止。

 

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http://mediumtrench.jugem.jp

 

ミディアムトレンチのメンバーの経歴は?

 

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戻り鰹

小学生:加山雄三、ベンチャーズを愛す。ピアノ教室を1日でやめる。
中学生:BEATLESやGSにかぶれ、ドラムの真似をし、鏡を見てひたすら段ボールや少年ジャンプを叩いていた。この頃にフォークルを知る。「福神漬 彼」を結成。
高校生:関西アングラフォークを知り、ギターを弾きはじめ、はっぴいえんどを浜道りで最初に聴く!オリジナルを作り、テープデッキを使い多重録音で遊ぶ。エコーはお風呂場であった。「Let It Be」を弾いた。
大学生:バンドサークルで出会った同級生達とフォークを唄う。芋煮会、アパート等で女性が興味を示してくれた。
社会人:「ダッファーズ」を結成。お盆、クリスマス、暑気払い、忘年会等で活躍する。5年ほど前「室戸岬」またの名を「ハリケーン室戸」としてソロデビューの後「常磐カンテラーズ」結成。2012年、神の導きにより最中小豆と出会い「MediumTrench」に参加。

 

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最中小豆

小学生:シャンゼリゼ8区育ち。ピアノ教室に通う。井上陽水とおニャン子クラブにハマる。ファミコンとジェニーとキン肉マンとコロコロコミックが好きな娘であった。ランドセルの色は黄色。器楽部でアコーディオン担当。
中学生:初めて買ってもらったレコードは長渕剛「とんぼ」。CDラジカセを買ってもらい、音楽を聴きまくる。矢沢永吉に傾倒し、YAZAWA CLUBに入会。
高校生:忌野清志郎に傾倒。バンドへの憧れから詩など書き始めるが、人前に出る勇気がなく音楽活動に至らず。
社会人:東京のアートスクールに入学するも退学、諸事情により帰郷、「ひきこもり」に突入。「ダウンタウンのごっつええ感じ」を愛する。部屋で詩や文章などを綴る生活をしつつ、様々な職を点々とする。洋楽はあまり聴かず、主にエレファントカシマシなどのJ-ROCKものを愛聴。2007年、溺愛するスピッツの曲を人前で歌いたくなり女性フォークデュオ「はちみつ」結成。はっぴいえんど、荒井由美のカバーやオリジナル曲にも手を出す。さらにFishmansに傾倒。2012年、とある地元の音楽家に急遽呼び集められ「Pola Nelsons」結成。惜しまれつつ超スピード解散。その時メンバーだった戻り鰹、竜宮城と「MediumTrench」を結成、今に至る。

 

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竜宮城(RYUGU JOE)

小学生:YMOの曲をピアノで耳コピをして遊ぶ。
中学生:カシオペア・神保彰の影響でドラムに憧れ、ひたすら段ボールや少年ジャンプを叩く。
高校生:部活をやめ、友人と「REBECCA」のコピーバンド「TRASH」を組み、数回ライブを行う。「猪瀬雅治」氏のドラム教室に約1年間通う。
浪人生:半年間ピアノを習い、発表会で「Let It Be」を弾く。
大学生:バンドのサークルに入り、ブルースセッションバンド「Napple BLUES&FUNK」を組む。その後「ERS」というバンドのドラムス担当の田岡氏が大事MANブラザースバンドのデビューをきっかけに脱退したため代わりに加入。月1回「新宿HEAD POWER」にてオリジナルを演奏。その他同時進行で色々なバンドを組む。
社会人:「KISS」のコピーなどバンド活動を続ける。1997年に転職を機に東京から福島へ移り住み、10年ほど音楽活動から離れた生活をする。いわき市に転勤し,2008年にレゲエバンド「日本家族」に参加。2012年「MediumTrench」に参加。

 

伝説のおじさん、戻り鰹のお洒落コーディネート12ヶ月

古着やファストファッションに、DCブランドものをミックスして着こなすのが天才的に上手な戻り鰹。
ずっといわきに住んでいて、こんなに洒落っ気のある人は今まで見たことがなかった。

 

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左→地元のレゲエバンド「日本家族」のベース、和泉さん。

 

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普通っぽいようで上級テク。

 

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まとめ

スタジオ練習のたびにコーディネートを写真に撮らせてもらっていた記憶がある。今回はブログにUPされていた写真をコピペしただけだが、PCを探したらもっと写真が残っている気がする。
ちなみに竜宮城氏は現在「十中八九」のドラマーでもある。


2016-08-20 | Posted in BLOG, MUSICNo Comments » 

ミディアムトレンチつれづれ。

細眉ブームが復活したらしいから、心置きなく細眉にした。

 

今はいつも1人でスタジオ練習しているけれど、数年前までは「ミディアムトレンチ」というバンドのメンバー3人でスタジオ入りしていた。

今思えば3人で音楽を作り上げていく幸せな時間がそこに流れていた。

ただし、4時間ほどスタジオを押さえても、うち2時間はギター担当のバンドリーダーM氏のファッションチェックとそれに付随するファッション、サブカル話、そして音楽講義の時間だった。お菓子をつまみながら。それがまた楽しかった。以前お洋服屋さんをやっていたM氏は服が本当に好きで、古いブランド服とプチプラ服を組み合わせて着こなすのが上手なおじさんだった。いわきにこんな人がいるなんて、と思った。M氏の影響で上京後スタイリストになった人もいるらしい。CDや本を毎週たくさん貸してもらい(聴き込まず、読み込まずでサラッとうわばみすくう程度にかじればいいと言われていたのでそうしていた)、時々古着や靴をいただいた。M氏は粋な人だった。ルーツロック系の音楽やカルチャーに詳しいと同時に、今の若者に人気の音楽や流行にもたいへん敏感で、教わることが本当に多かった。それまで私はスカみたいな音楽とほとんど縁がなかったのだが、モッズカルチャーとの絡みなども含めM氏にざっくりと伝授してもらった。男性は、基本的に女性に教えたい人が多いのだと思う。自分はその頃吸収力抜群のように感じていた。でもたぶん教わったことの半分以上は頭から抜け落ちた。

 

それらが正しくても間違っていたとしても、いまだにM氏のアドバイスや教えてもらったことを教科書にしているフシがある。今後も教えを忠実に守っていきたい。

一例①→服装がダサい奴とは音楽やらないほうが良い(服装がダサい男とも付き合うな)、楽屋入りする時の服装から意識しないとダメ、ステージ衣装を着て楽屋入りとかはNG、楽屋に入ってからステージ衣装に着替えるべき。←私もそう思っているが、「楽屋に入ってからステージ衣装に着替えるべき」は最近なかなか実行できていない。あと、誤解のないように言うと、粋が大事ということだ。家を出てから帰ってくるまでが遠足です、みたいな。トータルで音楽を表現しろということだろう。

一例②→循環コード、3コードを基本に、とにかくコードは極力シンプルに曲を作るべし。曲構成もなるべく削るとこ削る。カバーをやるなら極端な話、カバーしたい楽曲の雰囲気をパクってオリジナルを作れ。あとあと残るのはシンプルなコード進行の曲。←単にM氏が難しい曲を覚えられなかったから覚えられるような曲をリクエストされていた気もするが、共感できる。

ドラムのR氏は学校の先生で、部活の顧問が終わってからスタジオに向かうため、いつも遅れてスタジオ入りしていた。神保彰に憧れて10代の頃ドラム教室に通い始めたR氏は、品の良い正確なドラムを叩く方だった。お母様が音大卒ということもあってピアノや音楽理論の素養もあり、育ちの良さが性格にも表れていて、たいへん謙虚でスマートだった。彼のおかげで3人のバランスが保たれていた。

ミディアムトレンチ結成前、3人は「ポーラ・ネルソンズ」というバンドで一緒だった。あっという間にスピード解散したこのバンドも諸エピソードあり。解散の原因は私がバンドリーダーのプライドを傷つけてしまったためだ。以後気をつけようと思った。このあたりの出来事を含めた、地方のしがないミドルエイジなアマチュアバンドエピソードは、まとめると本1冊分くらいにはなる。ノンフィクションにすると差し支えそうだが。

 

M氏のアドバイスと、そこに俊美さんのライブ会場でのお客さんに対する神対応な立ち振る舞いを合わせて音楽活動時の参考にしている。

というか、M氏のノリが目に見えて悪くなってきて、このままだと解散かな、という危うい状態の時、M氏がふと「あんたはもう、ソロでやっていきな。プロになれ。そろそろ俺から卒業したほうがいい」と言った。「いやいや、そんなそんな。バンドがいいんですよ、私は」と答えた。M氏、何言ってんのかな、と当時は思った。
結局バンドは解散はしないものの、活動休止となってしまった。私はいまだにミディアムトレンチを続けたいと思っている。そもそも、私を前面に出すスタイルが間違いだったような気もする。

 

 

内弁慶だ。

 

 

シティポップ感を出したかった。この曲、最近また練習している。

 

 

1人でスタジオ入りするとさびしいので、ついtwitterでさびしいとつぶやいてしまうけど、自分で望んでそうしているので大丈夫なのです。がんばっています。

(後日加筆修正予定)


2016-08-20 | Posted in BLOG, MUSICNo Comments »