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2016-03-20

Rikuzentakata.

 

陸前高田へお墓参りに行ってきた。

 

5年経って、ますます現実を受け止め切れなくなっている自覚あり。

数分で町が海に沈んだ。
そういう話は「月刊ムー」でしかお目にかからない遠い伝説だと思っていた。

震災の4ヶ月前に陸前高田を訪れた時、ここに立ち寄った。ちょうど地域振興のイベントが開催されていて、屋台や出店がたくさん並んでいた。歌や踊りのステージもあった。
その時の人の賑わいが鮮明に焼きついている。

 

 

高い防波堤で水平線が見えない。
クロマツを植林し直す予定はないのかな?
陸前高田はこれからどうなっていくのだろう。

 

 

防波堤の切れ目。

 

 

要谷の亡おじ邸前にて。
津波を免れた松田の親戚の家はこの家1軒のみ。
左の木のすぐ下まで浸水した。

 

 

じいちゃん  作画 by 父。
フリーターの先駆けだったらしい。植木職人がメインの仕事だったとか。
バカボンのパパみたいだ。

 

 

親戚の家を数件まわった。
震災が起きてから最近まで、実はそうとう大変だった、今だから言えるけど、という話を今になって親戚から聞いた。
親戚のほとんどは仮設を出て新しい家で暮らし始めているが、5年経ってもなお仮設住宅は高田のあちこちに点在している。
高田松原近くにあった親戚が経営していた「民宿 沼田屋」は現在米崎で営業を再開している。

http://numataya.3zoku.com/

沼田屋さんがどなたかから預かって持っていたという父の油彩を、額装し直して沼田屋さんに展示するため一旦お預かりすることにした。嘘みたいに状態が良い。作品が流されずに済んだのはラッキーなことだ。タイトルは「冬の海」。

 

陸前高田の、更地になった無人の町なかに、真新しい自民党のポスターの立て看板がポツポツと立てられていて、悪寒が走った。


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