師走のカメラ日和。

 

久しぶりの撮影。

 

 

通称・星空☆おじさん、M.Kusahara氏の過密スケジュールの合間をぬっての撮影だった。
撮影機材が以前の撮影の時よりグレードアップしていて、撮られがいがあった。

 

 

 

ずっしりと重いカメラ。

 

 

 

にゃん。

 

 

 

実家にいた時は重すぎてぜったい着なかったママ手編みのニットを着てみた。

 

 

 

去年の今頃は星空☆おじさんと「森になる」のMV撮影をしていた。
あの頃はまだいすみに引っ越してきたばかりで土地勘もほとんどなく、知り合いも少なかったのを思い出す。

 

 

『森になる』MV
art direction by K.Matsunaga、camera by M.Kusahara

 

 

そして「眠ラヌ姫」。前途多難。無我夢中だった。

 

『眠ラヌ姫』MV
art direction by ayatopia、camera by M.Kusahara
produce by pikiyo studio

 

 

 

夜はカメラのテスト撮影で市内の海岸へ。

 

寒い夜だった。その分星がスゴかった。

 

 

なんて壮大。
南国の離島のようだ。サイパンっぽい。
肉感的な水着のグラビアが似合いそうなライティング。
夜の撮影はまたあらためて。

 

 

 

せっかく良い写真撮っていただいたし、ライブ、がんばります。
久しぶりに楽団エウロパのヒグちゃんが数曲スティールパンのサポート入ってくれるよ。

 

2018/1/14(日)HIGH BRIDGE GOES TO AKASAKA “アカブリ Vol.51″☆THE SHINNENKAI@赤坂グラフィティのお知らせ


2017-12-15 | Posted in BLOG, ART, MUSIC, WORK, YOUTUBENo Comments » 

最高ですか

先月は仕事が忙しく、自分の音楽のほうにほとんど時間を取れなくて、
その代わり、聴くほうに専念していた。
自分の中で賛否両論ありだが、AppleMusicとYouTubeは便利この上ない。
特に私は80~90年代の特にヨーロッパの洋楽に疎いため、
そのあたりの懐かしい曲の数々に懐かしさをおぼえるというよりは、
逆にどれも最新の良曲に聴こえてしまってとても新鮮だ(うわずみ程度には聴いてきたはずだが記憶が薄い)。
まだ聴いていないバンドやアーティストがこんなにたくさん、ということは、自分の伸びしろも(アラフォーにして)まだまだ未知数ということではないのか……?

先月ヘビロテだった曲を素直に挙げていこう。

 

カバーしたくなりネットでコード譜を探しまくったがどこにも転がっていない。
仕方なく自分で作った。未練習。

 

 

 

最高。2コードしか使ってなくてこの名曲っぷり。
2コード最高。

 

 

 

マットジョンソン最高。
アコーディオンやオルガン、ピアニカが入っている曲に弱い自分がいる。

 

 

先月いちばん聴いたのはThe The。

 

 

最高。

 

 

Big Audio Dynamiteは先々月あたりから好き。
アナログで欲しくなり入手。
ミックジョーンズ最高。

 

 

 

 

 

元ガロ編集者の浅川さん宅で打ち合わせしていた時に大音量でかかっていた湯浅学氏監修のこのCDのインパクトがどうしても忘れられず、
再度お伺いした時にお借りしてきた。

 

とにかく、最高。

 

友川かずき「生きてるって言ってみろ」が強烈。最高。

 

 

 

 

って訳で、なんとなく創作意欲も湧いてきて、3曲同時進行で曲を作ってみたりして。
うち、以前作ったお蔵入りだった1曲を作り直してデモ録りをしている。

 


2017-12-09 | Posted in BLOG, MUSIC, YOUTUBE, RECORDSNo Comments » 

I Remember You、つれづれ。

戻り鰹こと阿部さんが星になってからまだ10日とちょっとしか経っていない。お葬式が終わったのはほんの数日前だ。
いちばん「死」から遠いところにいるような人物が急に亡くなって、うろたえているのは私だけではないはずだ。

阿部さんのお通夜・告別式はいわきで最も格式高い、大きめの葬祭場で執り行われた。
会場は「地元の名士」かと思うほど人でいっぱいだった。

 

 

阿部さんは私の所属バンド「ミディアムトレンチ」の他にもいくつかバンドを持っていて、それぞれのバンドメンバーも私と同じように……いや、それ以上に阿部さんの死に驚き、悲しんでいた。

 

 

私が阿部さんと出会ったのは10年前で(阿部さんのバンド「常磐カンテラーズ」にライブイベント出演をお願いした)、それから音楽活動でご一緒するようになったのはごく数年前からだし、私はまだまだ付き合いが浅いほうかもしれないが、毎週のようにバンドメンバーでスタジオに入り、練習を重ね、時には揉めたりもして、阿部さんが近年バンドマンとしてもっとも音楽と、自分と向き合い悩みながら密度の濃い時間を過ごしたのはミディアムトレンチだったのではないだろうか。

 

阿部さんとのエピソードは思い出したらキリがない。
とにかく音楽が好きで、人が好きで(人を見る目もなかなか鋭かった)、自分のことも、自分の奏でる音も良い意味で大好きな人だった。
スタジオ練習でのセッションをiPhoneで録音しておき、その日のうちに練習音源をCDに焼いて翌日阿部さんに渡す、というのを毎週やっていた。CDをお渡しすると阿部さんはうれしそうにCDをカーステレオにセットして翌週のスタジオ練習日まで毎日聴いていたのだった。

 

阿部さんは、ライブ当日、ピリピリした空気の楽屋に、フランスパンの間にハムやレタスを挟んだ手作りのバゲットやワイン、チーズなどを持って現われ、まるでどこかの山にピクニックに来たかのように楽屋のテーブルいっぱいに食べ物を広げて「ほら、まず食べな~♪」とパーティーを始めてしまう人だった。
他の阿部さんのバンドのメンバーに聞くとやはり同じく練習スタジオや楽屋に手作りのバゲットやいろんな食べ物を持参し、メンバーにふるまっていたようだ。
当時は阿部さんの「ライブはリハーサルからお祭り的に楽しもう」なノリに正直気持ちがついていけなかった私だったが(ライブに不慣れで相当緊張していたため)、今となったらそんなに力まないで、どうせ下手なんだからもっと気楽に楽しめば良かったと後悔している。

 

ミディアムトレンチの活動をしている間は、(特にこちらが頼んでいた訳ではないのだが)お酒も煙草もやめてくれていた。
「革ジャンを着たいから」と、体重が増えないように気をつけていたようだった。
バンドの曲を覚えたりとか、自主練はほとんどしてこない阿部さんだったが、阿部さんなりに意気込みがあったのだと思う。
だから、私はマスコット的に阿部さんに操られるフリをして、阿部さんの魅力が多くの人に伝わるように陰で阿部さんを上手く操りながら、阿部さんとドラムの浦島さんと3人で、もっと良い景色を見たかったな、と思うのだ。

 

お通夜の会場でドラムの浦島氏と数か月ぶりに会い、スタジオ練習後いつもそうしていたように「Big Boy」で「ミーティング」という名の「精進揚げ」をした。
バンドとしての阿部さんの楽しい思い出は尽きないが、「どうすれば活動休止をくい止められたか?」「なぜレコーディングをして音源を残さなかったのか」と、反省会モードだった。実はアルバム制作のためのレコーディングを始めるか否かの選択がバンドの継続or休止のデッドラインだった。阿部さんは休止を選んだ。
ああすれば良かった、こうすれば良かったと今さら言っても仕方ないのはわかっている。わかっているが、なんだか惜しかったなという気持ちが勝ってしまう。
ステージに立つとそれぞれ気負ってしまい、上手くいったライブは一度もなかったが、音楽スタジオで3人で延々とセッションする時間が楽しくて仕方ないバンドだったというのが浦島さんとの共通の認識だ。当時体調を大幅に崩したり仕事も上手くいっていなかった私にとってはスタジオが唯一のサンクチュアリであり救いの場でもあった。

きっと開催されるだろう「阿部さん追悼(トリビュート)ライブイベント」に向けて、ミディアムトレンチとして数曲準備しておくことにした。ギターの人を探そうかと思ったが、あの、遊び心のある独特のカッティングとグルーブ感は阿部さんにしか出せないだろう。

 

 

面白い音源を見つけた。
「さばば」という曲の作曲を阿部さんにお願いしようとしたのだった。

 

 

結局、さばばは自分で作曲し、こんな曲になった。

 

 

「おとぎ話」、2コードのループがかっこ良いではないか。
私のボーカルが不安定なのがもったいない。

 

 

お借りしたままずっと返せずじまいで実家に保管してあった阿部さんコンシェルジュシリーズ、、、阿部さんらしい最高で最後のチョイス。
当時、私がウツっぽいのを阿部さんが知っていて「ウツの時はユキヒロの文章がすっと入ってくるはず、でもパラパラッと読む程度でいいから」と言って渡してくれた。

 

 

CDや古着、本の受け渡しのたびに使われた阿部さんのお店の袋。

 

 

実家の本棚を探してみたら、阿部さんから預かっていた阿部さんの連載エッセイの切り抜き等を発見。

 

阿部さん、「俺をモデルに本を書いてほしい」とよく言っていたな。
口約束はいやだから、形にしたい。

 

 

いつぞやの宴会の景品。
これも、阿部さんの仕業。

 

 

長らく限定公開にしてあったライブ動画の中から、阿部さんらしいのがあったのであげておく。
浦島さんが加入する直前の、ミディアムトレンチの初舞台。

 

 

 

まるで20代のような青春群像劇をアラフォーになってからようやく経験できて幸せだった(今も続いている)。
阿部さん、今までありがとう。

私はもう少しがんばってからそちらへ行きます。
ベタですが、天国でまたセッションしたいです。

 

 

ミディアムトレンチは永遠に……R.I.P.戻り鰹。


2017-07-28 | Posted in BLOG, MUSIC, YOUTUBENo Comments » 

「眠ラヌ姫」MVの1回目のラフ編集Ver.

「眠ラヌ姫」MVの1回目の、エフェクトもまだかけてない状態のラフ編集Ver.をあげておきます。

これはこれで嫌いじゃない。

 

 

 


2017-07-25 | Posted in BLOG, MUSIC, YOUTUBENo Comments » 

ミディアムトレンチは永遠に……R.I.P.戻り鰹。

私のバンド「ミディアムトレンチ」のギター&リーダー「戻り鰹」こと、マージー阿部氏が急逝された。

 

阿部さんの死が想像できなすぎて心の整理がつかない。

泣いて、1周まわって今はわけわからなくなって笑ってしまっている。
本当にたくさんの愛をもらった。感謝してもしきれない。
こんなに音楽とオシャレと人を愛するおじさんに出会ったことは今までなかった。
友だちがすごく多い人で、阿部さんのまわりはいつも賑やかだった。
いわきにこんな人がいるなんて……と、少々退屈で殺風景だったいわきでの暮らしが阿部さんと出会ったおかげで一時期華やいだ。
ご飯に行くのが好きな人で、たくさんごちそうしてもらい、古着もたくさんいただいた。
お金持ちというわけじゃないのに(失礼)、お金の使い方がスマートで、とても粋な人だった。お金持ちそうに見えるのがこれまた、粋な証拠。

震災の時、阿部さんと私は外まわり勤務中で、2人で車に乗っていた。(なんという巡り合わせか、阿部さんと私は同じ職場で働いていたのだった。)
阿部さんが機転を効かせて陸の方へ車を走らせたから命びろいした。そう、阿部さんは私の命の恩人でもあるのだ。

ミディアムトレンチで活動していた1年間という短い期間に、阿部さんに音楽やファッションの基礎知識、そして阿部さんらしいユーモアに富んだ人生観を詰め込んでもらった。
お会いするたびに山ほどのCD、本、古い雑誌を渡された。

 

「流す程度に聴けば(読めば)いい」と言われたのでそうした。

 

 

阿部さんは古着とファストファッションと昔のDCブランドものをミックスしてお金をかけずにオシャレに着こなす独特のスタイルを持っていた。「自分の原点はアイビー」とよく話していた。「これ、ためになるから」と、デザイナーのインタビュー記事をコピーして持ってきてくれたりした。そして必ず、CDも本も古着も、潰れてしまった自分の古着屋の「the MERSEY」と書かれた青いビニールバッグに入れて渡してくれた。

 

情報通で、古い音楽はもちろんのこと私も知らないような若者の音楽やカルチャーにも詳しく、俗っぽい一面も魅力で、阿部さんと話すのが本当に楽しかった。

そういえばバンド時代に作った(今も歌っている)曲は阿部さんのために作った曲がほとんどだ。
今まで、阿部さんほど音楽が好きな人に出会ったことがなかった。結局私は、音楽愛というよりも、阿部さんとバンドやるのが楽しくて、阿部さんに褒めてもらったり、喜んでもらいたくて音楽活動していたのだと思う。

 

私の音楽愛は正直いって本当に大したことなくて、はっきり言って薄っぺらいのだ。それも阿部さんは充分にわかっていて、「あんたはそのままでいいから」と言ってくれた。

だから、阿部さんと離れた後は、1人でどうしていいかわからなかった。歌う意味さえ感じられなかった。ただ、阿部さんへのちょっとした悔しい思いや意地で無理やり続けていたようなものだ。

 

突然、阿部さんがこの世からいなくなり、今、私は音楽を続ける理由が半分なくなってしまった。
なんだか、心からさびしい。あらためて自分は空洞なんだなとわかる。

そうそう、阿部さんに「俺のルポタージュをまとめて本にしてほしい」と常々言われていたのも心残りだ。「どんな風に書いてくれてもいいから」と、資料も渡されていた。

 

↓自分用にひたすら貼っておく。

 

この曲は阿部さんの口癖をもとに作った。
本人が歌うことを想定して作ったのだが、結局歌ってもらえずだった。

 

 

私の初ライブ&ミディアムトレンチデビューライブ。

 

 

阿部氏が「自分のバンドに戻る」と言い出したりしてバンドの雰囲気が悪くなってた頃。
曲はかなり好きだ。

 

 

下手。というかこれからまとめるところだった。

 

 

まだ音がまとまっていない感じ。

 

 

ほんの数年前なのに自分が若い。

 

 

記録してあった動画を見ると、途中でやめちゃってこの蓄積を無駄にしたらもったいないなと思う。

 

 

阿部さんの機嫌がなぜかとても悪かった時。しかし、今聴くと悪くないではないか。阿部氏作詞作曲の「ロマンス」、良い曲だ。

 

 

↓阿部さんについて書いた過去記事を貼っておく。

 

ミディアムトレンチ・戻り鰹の着こなしがやっぱりかわいかったNAVERまとめ

 

ミディアムトレンチつれづれ。

 

最後にバンドメンバーで集合した時の写真。左はドラムの竜宮城=浦島氏。
この日、話し合いを行い、「ミディアムトレンチは活動休止しましょう」ってことになった。
でも解散はしてませんよね。
今年、3人で飲もう、活動再開しようみたいな話もしてたのに。

 

阿部さん、本当にありがとうございました。
週末、お別れをしに伺います。

(2017/7/19加筆修正)


2017-07-18 | Posted in BLOG, LIVE, MUSIC, YOUTUBENo Comments » 

「森になる」MV作ったのつれづれ。

 

初めて作ったMV「森になる」、見ていただけただろうか?

いすみに引っ越して5ヶ月、その間に知り合った人々の協力や魅力的な場所があってこのMVができた。
本当に不思議だ。偶然にも身近なところに腕の良いカメラマンや感性の豊かな映像作家がいて、私の曲を気に入ってくれたのが幸いだった。いろいろ試行錯誤しながら撮影や編集を進めてくださり感謝している。
そして、自分の力だけでは出会えなかった不思議すぎる場所と樹木。まるで私をずっとそこで待っていてくれたかのように感じてしまったわ。

しかし、撮影した日はものすごく寒く、私の顔と指がこわばってしまってなかなか良い映像が撮れず、午前中で撮影を終わらせるはずが夕方近くまでかかかった。
撮影している間、白い何かの気配がしていた。すっ、すっと視線の上のほうをかすめる。そのうち、白い衣を着た女の人だとわかった。嫌な感じはしなかった。
夕方、帰りの車内でカメラマンのKusahara氏が運転しながら「なんかいたよね?」とぼそっと言った。「いましたよね」と私。
幽霊や超常現象などに興味の薄いタイプのKusahara氏にしては意外だった。あとで聞いたら、撮影場所のあの神社、女神様を祀っている神社なんだとか。
本当に神聖で美しい場所だ。撮影しておきながらおこがましいが、あまり有名になってほしくない。観光地化されてほしくない特別な場所がこの地域にはたくさんある。

 

 

このMV用に、いすみの山奥であらためて音源をレコーディングした。
その時の顛末は如月つれづれに書いた。

 

 

次のMVを早く作りたいのでMV用の音源をレコーディングをしようと思っている。
映像を作るのは楽しい。
自分で全部やるのも良いが、ある程度人にゆだねるという楽しさも楽しみたい。

 

今回「森になる」のMVを編集してくれたK.Matsunaga氏の制作したPR動画。
この本、現在ベストセラーになっている。
ザ・いすみって感じのする本。

 

 

初のMVって書いたが、初じゃなかったわ。
10年前に作った「風がふく」。
当時の切ない実体験を歌っている。なかなかに良い曲だわ……。
自分主催の小名浜港のアートイベントメイン会場の倉庫で撮影(倉庫はその後津波で破壊され、今はもうない)。
「『風がふく』っていう曲名、あの映画を連想しちゃって怖いからやめようよ~」と当時の相方に言われたのを思い出す。
その数年後、相方共々リアルに怖い目に遭い、放射能に震え上がるという皮肉。

 

 

次のMVもお楽しみに。


2017-03-29 | Posted in BLOG, MUSIC, YOUTUBENo Comments » 

『森になる』MV

アヤトピア『森になる』MV

art direction by K.Matsunaga
camera by M.Kusahara


2017-03-23 | Posted in BLOG, MUSIC, YOUTUBENo Comments »